倍賞千恵子さんの「私の履歴書」。映画「下町の太陽」は1963年封切、ということは小学6年生14歳の修学旅行で観たことになります。

キャリア考
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アイキャッチ写真:閉伊川河口での釣り。女性二人とも釣りならではの沈黙と集中の時間が経過します。結構釣れていました。

12月9日の日本経済新聞朝刊「私の履歴書」倍賞千恵子(9) 歌謡映画 熱意が生んだ大ヒット曲 映画初主演 山田監督と出会う。
「下町の太陽」は1962(昭和37)年のレコード大賞新人賞でした。
映画は1963年。修学旅行の車中泊は、床に何か敷いて寝たりしていました。
今ならクレームの嵐になると思いますが、女の子と車両を分けたのかもしれませんが、
発展途上国の日本、当時は小学生も逞しいものでした。
レコード大賞という言葉も古いですね。

ちょうどこの年に、宮古高等学校野球部は春の甲子園に出場。
愛媛県の名門、松山商業と戦い、延長15回3対4で惜敗。
近くのお兄さんが活躍したりして、宮古市内老若男女興奮したものです。

「私の履歴書」では、弟さんが日大三高で春夏甲子園で活躍したことも載っていました。

野球と言えば、62年、明が日大三高3年の時に一塁手、3番打者で春夏の甲子園に出場した。春の選抜は決勝で作新学院に惜しくも競り負けて準優勝、夏も準々決勝まで残るという快進撃だった。甲子園に駆け付けたかったが「有名人が行くと混乱して生徒に迷惑がかかる」と関係者に止められた。仕方がないので撮影現場にラジオを持ち込み、中継を聞きながら心の中で熱い声援を送った。

日本経済新聞電子版朝刊2023/12/9「私の履歴書」倍賞千恵子(9)

以上


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