二七日(ふたなのか)の法要

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(アイキャッチ写真)明日7月9日に二七日(ふたなのか)忌。仏の花を揃えました。
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調べると、仏教では一般的には、一定期間を経てあの世へと旅立つとされているそうです。
その過程でさまざまな審判や試練を受けるそうです。
これを助けるために法要を行うと書いてありました。

初七日から審判が始まり、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、そして七七日(四十九日)が冥土の最終審判日とされるそうです。

最初の他切な法要の、初七日(しょなのか)法要は葬儀と併せて行いました。
次の二七日忌は、母親の場合は7月10日になるのですが、この地域では一日前に行うそうです。
よって7月9日が二七日忌になります。

私のお寺では、その後の法要は七七日(四十九日)法要になるようです。
これは東京から妹たちも集まり賑やかになりそうです。
旧盆とも重なる時期です。

私の家は、信心の深い土地柄の富山県入善町あたりの出身で浄土真宗です。
浄土真宗は、「死後の審判」や「中陰(七日ごとの裁き」喉の考え方は基本的には採用しておらず、初七日・二七日・三七日・・・・といった「忌日法要」には独人見解があります。

浄土真宗では、故人は亡くなった瞬間に阿彌陀佛の「他力本願」によってすぐに極楽浄土へ往生すると考えます。「臨終即往生」、死後に裁きを受けたり迷ったりするという考えは取らない。7日毎の裁きも、「死者の旅の途中」と言う考え方も無いそうです。

それでも、浄土真宗でも、初七日、四十九日、一周忌などは行いますが、
故人の冥福を祈るためではなく、次のような目的のために営まれます。
1,故人を忍びつつ、仏法に触れる機会とする。(聞法の場)
2,阿弥陀如来の働き(本願)に感謝する。
3,自らが「生と死」の意味を見つめ直す仏縁の時間。

なお、私の家の菩提寺が真宗大谷派(東本願寺系)です。
この真宗大谷派(東)と、もう一つは真宗本願寺派(西)がありますが基本的な考え方は共通しています。今回は行いませんが、父親の遺骨は、地元のお寺以外にも京都の方にも母親と妹で納骨に行っています。

以上

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