走馬灯。人生の走馬灯。はからずもの走馬灯。

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(アイキャッチ写真)風鈴草の花。蛍袋。・・・・・・・・・・・・・・・。

3年前の12月に、入院手術。
「もう終わりかなあ。」、「後は成り行きでしかないなあ。」とか感じました。
これを機に、死が自分にとってリアルなものになりました。

この5月、母親は、介護施設から病院に移った。
そして、延命処置はしないという意思のもとに病院にいる。
医師から、選択を迫られ母親の希望を尊重した。

いつ病院から終わりに向けた連絡が入るのかと気が休まらない。
私の人生とともに歩んだ40歳代からの携帯番号。様々なことが連絡されてきた。
着信があると「どき!」とする。発信元を確かめて、「ほ!」とする。

昨日の、仕事のときも、大谷くんの話題のときもどっか頭の片隅にある。
食事のときも頭の片隅にある。入浴しているときは携帯電話に出ることができない。
そして睡眠も浅い感じで、朝起きても疲労感が残っています。

食事の後の片付けも、掃除もこまめにやる。
冷蔵庫の中の食品も最低限にする。
服装やお金の準備もする。
気になていたので新しいテーブルクロスとスリッパを買ってきました。

明日、面会の予約を入れてある。
死を間近にすると、人生が走馬灯のように蘇るらしいと聴いたことがある。
死を間近にして、96年間の人生、何を思い出しているのだろうか。

私には、高校生までの印象が強い。働き詰めの母親と父親でした。
東京に出てからは、ダンボルールで食べ物を送ってきたのが印象深い。
帆立貝の煮物が入っていたこともある。

もう終りが近づいている母親を見ていると不思議に
「お疲れさまでした。ゆっくり休んでください。」と言う気持ちになってしまう。
苦しまず、ゆっくり眠るように休んで欲しいです。

「ありがとうございます。」

以上

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