アイキャッチ写真:12月18日朝8時頃、盛駅行き三陸鉄道の車窓。(釜石の仕事に向かう)家康の時代にもそれよりも前も同じ風景があったと思います。(都会と違って開発されていないので本来の価値が残っているということです。)三陸鉄道が宮古釜石間不通の時はバスでこの景色に癒されて5年になります。死生観にも影響しました。
茶々の最後の言葉は、
「日ノ本か。つまらぬ国になるであろう。正々堂々と戦うこともせず、万事長きものに巻かれ、人目ばかりを気にし、陰でのみ妬み、あざける。優しくて、卑屈なか弱き者たちの国。己の夢と野心のために、形振(なりふり)構わず力のみを信じて戦い抜く!かつて、この国の荒れ野を駆け巡った者たちは、もう現れぬ。茶々は、ようやりました」――。
ラストシーンに、家康と死んでしまって何年もたった妻瀬名ビル縁側に座りその遠景は、立ち並ぶ現在の都会、たぶん東京の姿。
鴨長明の「方丈記」の一節が浮かんできました。
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
2004年6月22日作成
世の中にある人とすみかと、またかくの如し。
玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。
住む人もこれにおなじ。
所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。
又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。
そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。
或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。
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背景の遠景はビルが立ち並ぶ姿で、BGM音楽はどうしようかと考えませんでしたでしょうか。
以上
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